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異文化と異次元の旅人

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2008年03月15日 (土)

大作家といえども

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私はその昔文学に憧れていたものの、文学的才能がないことを小学校の卒業文集で痛いほど思い知らされ、文学の道を断念したと以前書いた。にもかかわらず、ここ何年かは大学・大学院生相手に英語・日本語の作文・論文指導をすることが多い。以前は翻訳学校でも教えていた。

実は、論文やビジネス文書など、いわゆる実用日本文は、文学表現とは違い特別な才能を必要としない。訓練すれば誰にでも書ける。逆に、優れた文学者であっても日本語が完璧とは限らない。そういうことを、日経新聞に瀬戸内寂聴さんが連載している「奇縁まんだら」という文章を今日たまたま読んでいて思い出した。その文章でいくつか気がついたことがあるので、ここに引用してみたい。

私は草野さんと個人的なおつきあいが出来るようになったのは、田村俊子のおかげであった。
「は」と「が」の使い方の問題で、「私は」「出来るようになったのは」と「は」が続いているが、通常、複文従属節中の主語には「が」を使うので、「私が草野さんと個人的なおつきあいが出来るようになったのは」の方が適切だろう。
少し前に生れた樋口一葉が、近代日本で女の作家の第一人者として識られているが、二十五歳で死んだ一葉は、死の直前は才能が認められ、名はあげていたが、原稿料や印税で生活を立てることは、適わなかった。
これも「は」の問題で、「名はあげていたが」の「は」は強調・対比の用法だが、それに続く表現とは純粋な対比の形になっていないので、単純に「名をあげていたが」の方が自然。
こういうユ二ークですばらしい選者たちに選ばれた私の幸運は、生涯でも誇らしいことだった。
「誇らしい」と感じている対象は、「選ばれた」という事実であり「幸運」ではないから、「私の幸運は、生涯でも誇らしいことだった」はやや不自然。
俊子の命日は終戦の年昭和二十年四月十一六日だったので、その日を授賞の日と定められた。
「定められた」は受動態なので、「その日を…定められた」はおかしい。「その日が受賞の日と定められた」あるいは「その日を受賞の日と定めた」が適切だろう。

数多くの素晴らしい文学作品を世に出し、日本の文学史に燦然と輝く大作家である瀬戸内寂聴先生の文学表現に、若輩者の私が文句をつける気などさらさらない。しかし、文学表現と実務日本語は別物である。たとえ読者を惹きつける力には優れていても、実務日本文という観点から見れば、大作家の日本語といえども完全ではなく、例文のような日本語は実務文の教室では真っ赤に添削されるだろう。

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Taro Who?/フウタロウ

管理人 : Taro Who?/フウタロウ
理系研究者からビジネス現場の通訳・翻訳・マーケティングサポートを経て、現在はもっぱら大学・大学院で理系英語・翻訳・プレゼン・ライティング等を教える。また、理系英語教育プログラム、脳科学的アプローチに基づく英語学習、通訳訓練法、通訳・翻訳理論を研究する。しばしば仕事はそっちのけで、旺盛な好奇心のおもむくまま、あらゆるジャンルに首をつっこみ雑文を書く。砂漠とロッキー山脈が大好きだが、最近はとんとご無沙汰。もっぱら仙人生活を送っている。でも、パーティーとおしゃべりは嫌いじゃない。日本生まれ、日本在住。20代から15年間アメリカで過ごす。

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